この話題になると出てくるのが、今があるのは高齢者が頑張ったから。
耳たこのセリフですね。
でも、現在の不況も社会制度も良くも悪くも高齢者が作っていませんかね。
稼ぐチャンスがあったのに、老後を考えず使い切っていたのは自己責任ではなく社会が悪い。若い世代は稼ぐチャンスが少ないのに自己責任?
子どもにすら自己責任を押し付けるのに、高齢者には自己責任という言葉を使わないのは違和感がありませんか?
高度成長期だとか、バブルだとか、過去に散々楽しんだ挙げ句、子ども孫世代に負担を強いていませんか?
過去の栄光だけを話し、現在の負の状況には我関せずでは、敬う対象にはならないのでは?
次に、知識や経験が豊富だという意見。
ネットより豊富ではないですね。高齢者の話を聞いたあと調べると、間違っていることも多い…
ネットでは分からないことを知ってる!という人もいますが、それがあるならネットにあげてくださると、欠除している情報が補完されます。きっと皆が喜びます。
そして、今あなたが生きているのは高齢者のおかげという意見。
これは尊敬ではなく感謝の話なので、尊敬とは無関係ですね。
最後に、いつかあなたも高齢者になると言う意見。
もはや尊敬される理由ではなく、ただの希望に聞こえます。自分が高齢者になったときに尊敬されないのは、たしかに悲しい。とは言え、この言葉には中身がありません。下の世代が敬えば、その下の世代が敬うようになるわけではないでしょうし。
ここまでは集団の話。
個々を見れば、尊敬できる人はいます。でも少数です。これは、どの世代でも同じだと思います。尊敬できる人が少ないから、尊敬されるのです。年齢で区切って、この世代は敬うべき!と考えること自体ナンセンスではないでしょうか。